伝説
伝説では、三山国王はもともと隋末の三人の義兄弟——大王の巾山国王・連傑、二王の明山国王・趙軒、三王の独山国王・喬俊で、乱世に郷民を守り盗賊を退けました。のちに宋の太祖・趙匡胤が建国する際、三柱の山神が霊験を現して戦を助けたため、「三山国王」に封じられ、明貺廟を賜って祀られたといいます。別の説では、三山国王はもともと三つの山の自然神で、歴代の加封を経て次第に人格化されたものとされます。
しかし台湾での三山国王の物語は、むしろ客家移民の血と汗のなかに刻まれています。清代、分類械闘(出身地ごとの集団抗争)が頻発した時代、客家の集落は人数で劣勢に立たされ、三山国王廟はしばしば村の防衛拠点の中核でした——廟のある所に防衛線があり、族人はそこを守ったのです。三山国王は神であるだけでなく、動乱の時代に「我らは何者で、何を守るのか」という客家人の答えそのものでした。
だからこそ客家人は移住のたびに、まず三山国王廟で香火を分けて携え、新しい土地に着けばまた廟を建てて祀りました——山神は人とともに歩み、原郷の守りが欠けることは決してなかったのです。
