民俗信仰

乩童(きどう)と神託

廟会で突然全身を震わせ、鯊魚剣(さめのつるぎ)で額を打ちながらも顔色一つ変えない人——それが「乩童(きどう)」、神仏に選ばれたこの世の代弁者です。「起乩(きき)」で神仏を体に降ろし、信者に神意を伝え、病を癒し厄を払い、迷いを解きます。

詳細紹介

廟会の遶境(ぎょうけい/巡行)の列の中で、ある人が突然、全身を激しく震わせます。目つきが変わり、鯊魚剣(さめのつるぎ)を手に取って自分の額へ打ちおろす。血が流れ出るのに、本人は痛みなど感じていないよう——周りの人は言います。あれはもう本人ではない、神仏が「降駕(こうが)」されたのだ、と。この人こそ乩童(童乩や霊乩とも呼ばれます)、神仏のこの世の代弁者とされる存在です。

乩童とは?

「乩」は神霊が降りる媒(なかだち)を指し、「童」は純粋で汚れのないことを意味します。乩童は神仏が自ら選んだ凡人の代弁者で、性別も年齢も問いません。そしてこの過程は、たいてい受け身のものです。当人が突然わけもなく震えだしたり、ふつうでない言葉を口にしたり、ある神仏に呼ばれる夢を繰り返し見たりする。廟の法師の確認を経て、はじめて、ある神仏がその人を乩童として「収めよう」としていると認められます。そのあとは「訓乩(くんき)」という期間を経て、神仏の降駕をしっかりと受けとめる術を学んでいきます。

起乩の儀式

起乩は多く、特定の場で行われます。神仏の聖誕、廟会の遶境、あるいは信者が事を問うときなどです。法師が読経、鈴振り、焼香で儀式を起こし、乩童は導かれながら、ゆっくりと恍惚(こうこつ)の出神状態へ入っていきます。起乩したのちの一言一行は、もはや本人のものではなく、神仏が操るものと見なされます——声が変わり、表情は威厳を帯びたり慈悲に変わったりし、話す言葉さえ文言や古語になることがあります。

操五宝

乩童で最も強い印象を残すのが「操五宝(そうごほう)」——起乩した状態で、法具を用いて自らの体を傷つける行いです。

● 七星剣(しちせいけん):短剣で背や胸を打ちます。

● 鯊魚剣(さめのつるぎ/鮫歯の棒):鮫の歯で作った法具で額や背を刺し打ち、血が出ますが、痛みは感じないとされます。

● 銅棍(どうこん):銅の棒で体を打ちます。

● 刺球(しきゅう/狼牙棒):鉄の釘を全面にまとった球形の法具で、全身を打ちます。

● 月斧(げっぷ):斧の形をした法具で、斧の面で打ちます。

こうするのは、自らの血で法具を「浄化」したり符令を開光したりするためとされ、また神仏が法力を示す方法でもあります。ただし、すべての乩童が操五宝をするわけではありません。言葉だけで神意を伝えるのは「文乩(ぶんき)」、操五宝をするのが「武乩(ぶき)」と呼ばれます。

桌頭と通訳

神仏が降駕して語る言葉は、往々にして難解です——古語や方言、あるいは曖昧模糊とした字句であることがあり、そばに「桌頭(たくとう)」(通訳、乩脚とも呼ばれます)が控えて訳す必要があります。桌頭はふつう、経験を積んだ古参の信者や法師で、乩童の言葉や身ぶりから神仏の思し召しを、皆にわかる現代の言葉へ移します。桌頭の役割はきわめて重く、腕のよい桌頭がいれば、問事の場は滞りなく、説得力のあるものになります。

問事の流れ

乩童に事を問うには、ふつうまず線香を上げて申し述べ、擲筊で神仏がお受けくださるか確かめてから、順番を待ちます。問える事柄は幅広く、体の健康、婚姻や恋愛、事業や財運、家宅の風水、子の学業……。乩童は(桌頭の通訳を通して)具体的な助言を与え、ときに「薬籤(やくせん)」(漢方薬を中心とした処方)を出したり、祭改や安太歳といった儀式を行うよう指示したりします。

社会的な役割と論争

乩童が台湾社会で担う役割は、複雑で微妙です。敬虔な信者にとって、乩童は神仏の慈悲が姿をとったもの、心の慰めと暮らしの導きを得る大切な出口です。けれど批判する側は、信者の信頼を私利のために使う乩童がいることを案じます。近年、乩童の文化も変わりつつあり、より透明な問事の仕組みを整えた廟もあれば、人類学や心理学の立場から起乩の現象を研究する学者も現れています。どちらの側に立つにせよ、乩童は台湾の民間信仰の一片として、何百年もの歴史の記憶と民間の知恵を背負っているのです。